パッタダカル

南インド・デカン高原の小さな村パッタダカル。
かってデカン高原を支配したチャールキヤ朝の都市です。
ここには北方型の寺院と南方型の寺院が混在しています。
2008年12月訪問。

写真右はサンガメーシュワラ寺院、左はガラガナータ寺院


パッタダカルは「ルビーの王冠の都」という意味で、6〜8世紀にデカン高原を支配したチャールキヤ王朝が戴冠式を行った場所です。チャールキヤ王朝は南にあるパッラヴァ王朝と戦いを繰り返しており、パッラヴァ王朝の侵攻により都であるバーダミが奪われてからは、パッタダカルが都とされました。7世紀にこの地を訪れた唐の玄奘は「土地は肥沃で農業が発展し、家臣は勇敢で主君に忠誠を尽くした」と書き記しています。

パッタダカルには多くの寺院が残っており、遺跡公園となっているのですが、ここでは興味深いことに南方型と北方型の寺院建築両方を見ることができます。インドの寺院建築では本堂屋根部分が塔のようになっており、シカラと呼ばれますが、このシカラに南方型と北方型の違いがあるのです。上の写真の右側サンガメーシュワラ寺院はシカラ部分が水平層を階段状に積み重ねる形となっている南方型、左側のガラガナータ寺院はシカラ部分が砲弾型になっている北方型です。
パッタダカルの寺院は全てシヴァ神を祀るものですが、様々な様式の寺院が並ぶさまは、まるでインド建築の見本市のようです。



ヴィルパークシャ寺院


パッタダカルで最も見ごたえのある寺院は8世紀に建てられたヴィルパークシャ寺院です。この寺院はチャールキヤ王朝8代目のヴィクラマーディティーヤ2世がパッラヴァ王朝との戦いに勝利したのを記念して第1王妃であるローカ・マハーデーヴィが建立したもので、王妃の名前からローケーシュワラ寺院とも呼ばれています。王妃はこの寺院のために南のパッラヴァ王朝の建築家グンダを招き、建築にあたらせました。
この寺院は有名なエローラのカイラーサ・ナータ寺院のモデルになったも言われています。

上の写真だと分かりやすいと思いますが、シカラは水平層が3段に積み重ねられた南方型です。
リンガを置く聖堂の前には列柱が並ぶ拝堂が置かれ、拝堂には三方から入口のポーチが設けられています。下の写真は入口のポーチ。天井にも美しいレリーフが彫られていますし、左右の透かし窓も見事です。




入口を守る神ドゥヴァーラーバラ(左下)と柱に彫られた美しい男女像(右下)
 


入口を入った拝堂には多くの柱が並ぶ列柱ホールになっていますが、どの柱も美しく細かいレリーフで飾られています。 マハーバラタやラーマーヤナの場面が描かれているそうです。

     


寺院の壁にも美しいレリーフが刻まれています。壁龕にはヴィシュヌ神(左下)などのレリーフが刻まれ、その左右には(よく写っていませんが)透かし窓があります。

   


寺院の前にはナンディ堂もありました。
レリーフの見事な堂です(左下)し、黒光りするナンディも立派です(右下)。

   



マリカールジュナ寺院

ヴィルパークシャ寺院のすぐ裏にマリカールジュナ寺院があります。



マリカールジュナ寺院はヴィルパークシャ寺院を小さくしたような寺院です。これはヴィクラマーディティーヤ2世の第2夫人が建立した寺院ということで、王妃の力関係を反映してか、小規模な寺院となっています。建てられた時期はヴィルパークシャ寺院と同じく8世紀です。

基本的にはヴィルパークシャ寺院と同じような構造で寺院の前にはナンディ堂、寺院入口を入ると列柱ホールの拝堂、そしてリンガを祀る聖堂となっています。天井の彫りなどは、かなり見事です。

   



カーシーヴィシュワナータ寺院

マリカールジュナ寺院(左)のすぐ隣にカーシーヴィシュワナータ寺院(右)があります。



マリカールジュナ寺院(左)が南方型であるのに対し、隣に建てられたカーシーヴィシュワナータ寺院(右)は北方型で、シカラの形が全く異なります。並んでいると違いが分かりやすいですね。

   



サンガメーシュワラ寺院



サンガメーシュワラ寺院はヴィルパークシャ寺院より少し古く、7世紀末から8世紀にかけてチャールキヤ王朝7代目の王が建立したものです。ヴィルパークシャ寺院のような華やかさはありませんが、シカラは水平層が三段になる南方型で、壁にレリーフと透かし窓があるところは共通しています。この寺院は入口部分が開放的な造りとなっています。

前方から撮ったサンガメーシュワラ寺院(左)と隣に建つガラガナータ寺院(右)





ガラガナータ寺院

   

ガラガナータ寺院は砲弾型のシカラを持つ北方型の寺院です。この寺院のシカラの頂部には球根型のアーマカラが残っています。パッタダカルの他の北方系の寺院ではアーマカラは失われてしまっているのですが、本来はみな、このようなアーマカラを載せていたわけです。
かっては拝堂があったということですが、残念ながら現在は失われてしまっています。
このような北方型の寺院があるのは、チャールキヤ王朝時代は、まだ建築様式が確立しておらず、王が各地の建築家を招いたことによるのだそうです。北方型の寺院も南方型の寺院も、この後、それぞれ発達していくわけです。



ジャンブリング寺院とカダシッデーシュワラ寺院

ガラガナータ寺院の裏に、二つの古い北方型の寺院があります。

   

左がジャンブリング寺院、右がカダシッデーシュワラ寺院。
砲弾型の北方型ですが、なんとなく水平感が強くて南方型とも近いものを感じます。
カダシッデーシュワラ寺院は遺跡公園の中で最も古い寺院です。


遺跡公園には多くの修学旅行生が来ていました。
ピンクのサリーは教育学部の制服なんだとか。
かわいらしい先生の卵たちです。






パーパナータ寺院

遺跡公園から少し離れたところに北方型のパーパナータ寺院があります。



パーパナータとは「邪悪なものを退治するもの」という意味でシヴァ神の別名です。この寺院もシヴァ神を祀る寺院で8世紀に建てられました。シカラが北方型でパッタダカルの北方型寺院を代表するものとされています。

この寺院を見て気が付くのは、やけに拝堂が長いこと。実はこの寺院、最初は本堂の前にあったナンディ堂を拝堂とつなぐ形で増築してしまったのだそうです。そのため、寺院内部にナンディが置かれる形になっています(左下)。この寺院も美しい彫刻やレリーフで飾られていました。

   


レリーフや彫刻の美しいパッタダカルです。
エローラのカイラーサ・ナータ寺院やカジュラーホの寺院に発展して行くと思うと本当に興味深い。



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参考文献

ユネスコ世界遺産D(講談社)
世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)

現地ガイドさんの説明をもとにまとめています。