ティカル

マヤ古典期を代表する遺跡、ティカル。
フローレスの町から車で1時間弱のジャングルに位置します、

最初に訪れたのは2004年8月。2012年5月に再訪することができました。
特に記載のない写真は2012年撮影です。

写真は1号神殿とセントラル・アクロポリス


ティカルは先古典期からの歴史を持ち、テオティワカンとの関係も取りざたされるマヤの老舗国。

6世紀中盤にカラクムルに敗れ、以後130年間に渡る衰退期を迎えますが、695年にハサウ・チャン・カウィール1世(以後、「ハサウ」と略します)がカラクムル王の「楯と槍を打ち落と」し、カラクムルの「守護神ヤハウ・マーンを捕える」という大勝利をおさめることでマヤ屈指の大国として返り咲きます。

写真の1号神殿はカラクムルに勝利したハサウを祀る神殿として、息子であるイキン・チャン・カウィール(以後、「イキン」と略します)が建てたもの。
イキンはティカルの優勢をゆるぎないものとし、4号神殿を始めとする多くの建造物を建立しました。

ティカルはマヤ古典期の栄華を垣間見ることができる大遺跡であり、そこかしこに残るテオティワカンの影響から、謎の超大国テオティワカンとマヤの関係について夢を馳せることができる遺跡でもあります。 


下の写真はグアテマラシティの国立考古学民俗学博物館のティカル復元模型。
ティカル中心部の復元模型です。
実際のティカルはもっと広く、遺跡入口にも巨大な復元模型があるけれど正直大きすぎて分かりずらいので。


写真中央部の建物が密集しているところが、グラン・プラザ。
グラン・プラザ中央で背を向けている高い建物が1号神殿、向かい合って建つのが2号神殿。
1号・2号神殿の右手、建物が密集しているのがノース・アクロポリス。
左手、やや背の低い建物群はセントラル・アクロポリス。
2号神殿の後方やや左手が3号神殿。
そして、一番奥の高い建物が4号神殿。
グランプラザから貯水池を挟んで左手に建つのが5号神殿。
写真左奥が7つの神殿の広場と失われた世界。
そして、この模型の外、右側を行くとコンプレッホ(双子ピラミッド・コンプレックス)群。
模型の外、左側を行くと6号神殿。
模型の外、手前が遺跡入口方向で、博物館が2つ。

正直、1日でじっくり回るのは不可能でしょう。
2日かけて、ゆっくり見るのが夢。



グラン・プラザ

ティカルの見どころは多々あるものの、やはり華となるのはグラン・プラザ
1号神殿と2号神殿が向かい合う広場を中心に北側と南側にも多くの建物が並びます。
北側のノース・アクロポリスは歴代王の墓所・神殿の立ち並ぶ場所。
南側のセントラル・アクロポリスは支配者層の居住地区だった場所。

セントラル・アクロポリスの更に南側にある5号神殿からはグラン・プラザを横から見下ろすことができます。
セントラル・アクロポリスの建物群は背が低いのでジャングルにほとんど埋もれていますが・・
右側の建物が1号神殿、向かい合う2号神殿は頂上部分だけが見えてます。
2つの建物の間に見えるのが、ノース・アクロポリスの神殿の一部。
(2004,8)





1号神殿

正面から見た1号神殿。

神殿上部の入り口のリンテルにジャガーの彫刻があったことから、ジャガーの神殿とも言われています。

前にも述べたように、カラクムルを破ってティカルを再興させたハサウを葬るために息子のイキンが建造したものなのですが、元々ここにはハサウが建てた神殿があり、それを息子が父の墓所とするため造り直したものと考えられています。
この神殿の屋根部分には玉座に座るハサウの像が刻まれ、神殿の真下にはハサウが翡翠等の多くの副葬品とともに葬られました。最も豪華な翡翠の首飾りは3.9キロもの重さがあるということです。

息子であるイキンが即位したのが734年なので、おそらく今の形に完成したのは8世紀中ごろ。

神殿の高さについては51mとか47mとか複数の記載があり、ティカルの神殿の中では4番目の高さ。

9層の基壇上に神殿を乗せ、更にその上に烏帽子のような特徴ある飾り屋根をつけるという垂直性を強調したフォルム。

9層というのはマヤでは地下世界が9つとされることに関係するのでしょうけれど、SFに出てきそうな、ちょっと未来的な印象さえ受けます。


2号神殿

1号神殿に向かい合って建つ2号神殿。



こちらは3層の基壇の上に神殿が建つ安定感のあるフォルム。この神殿は、屋根飾りに仮面が刻まれていたことから、仮面の神殿とも言われているそうです。

この神殿からは女性の像が刻まれたリンテルと、今は壊れてしまったものの女性の像が刻まれた石碑があったことから、ハサウが妻のために建てたものではないかと言われています。グラン・プラザは息子イキンによって、母と父が向かい合う形で設計されたのかもしれません。

2号神殿は横から登ることができます。余り高くないので高所恐怖症の人でも大丈夫(だと思う)。
ちなみに1号神殿は、かって死者が出たので、今は登れなくなっています。


1号神殿と2号神殿が向かい合うグラン・プラザは,ともかく壮観。
ティカルの建造物は重厚というか威厳があるというか、荘厳というか・・・。
広場をうろついて写真を撮りまくってしまいます・・・。

左下 2号神殿、右下 1号神殿
   



ノース・アクロポリス

グランプラザ、1号神殿に向って左側がノース・アクロポリス。


写真では分かりにくいけれど、ノース・アクロポリスには幾つもの神殿が重なり合うように建っています。マヤの建造物の特徴として、古い建物の上に次々に新しい建物を建てていく、というのがあるのだけれど、ここには紀元前350年ころから歴代の王の墓や神殿が重なり合って作られ、最終的には1号神殿を小ぶりにしたような形の神殿が10ほど建ち並んでいたらしいです。さぞ壮観だったでしょうね。

かっての姿を想像することができる面白い本を現地で購入しました。
遺跡の写真に透明な紙(プラスティック?)に描いた復元図を重ねるというもの。
ノース・アクロポリスの現状(左)と復元図(右)。左に第2神殿、右端が第1神殿。
今は基壇しか残っていないノース・アクロポリスに立派な屋根飾りのある神殿が建ち並んでいます。
   

復元図のような復元ができないのは、ここが徹底的に発掘調査された結果なんだそうです。神殿を掘ると古い神殿や墓が発見されるので、どんどん掘っていったら、元々の形に復元できなくなってしまった・・ということなんですって。古いものでは先古典期の石室墓も発見されているそうです。ここはティカルでは昔から大事な場所だったわけですね。


ノース・アクロポリスでは所々で発掘された古い神殿を見ることができます。

マヤでは先古典期の終わりから古典期前半の500年ころまで、神殿の壁面に大きな仮面を飾ることが流行りました。ノース・アクロポリスには幾つもの巨大な仮面が残っています。

写真は神殿33の中に埋もれていた古い神殿を飾っていた仮面のレリーフ。黒くなっているのはカビで、保存上深刻な問題になっているとか。

この仮面のレリーフがある古い神殿から、マヤとテオティワカンの関係を伺わせる重要な石碑31が発見されています。

石碑31は神殿内部に埋められていたせいか、素晴らしい保存状態で、とても繊細で美しく必見です。ティカルの博物館で展示されています。


中央広場から見たノース・アクロポリス



ノース・アクロポリスの前には石碑がたくさん並んでいます。

これらの石碑、余り保存状態は良くないものがほとんどですが、中にはうっすらとレリーフが残っているものもあります。比較的保存状態の良いものを写してみました。
左下の写真は6世紀前半の王カロームテ・バラム。カラクムルによるティカル侵略前の王です。

     


ノース・アクロポリスに登って見るグラン・プラザの光景も素晴らしい。
1号神殿と2号神殿。
どちらの写真でも5号神殿の頭飾りがジャングルから覗いているのが見えます。
ほんとは2枚の写真をくっつけたかったのですが技術がないので・・脳内補完して下さい。
   


遺跡の現状と復元図の本をここでも紹介。
ノース・アクロポリスからの景色。5号神殿の右は今は単なる山ですが本来は大きな神殿があったようです。
 

多くの建物が失われたり、ジャングルに埋もれましたが、それでもティカルの見事さは損なわれていません。

1号神殿の後方は貴族たちの居住区だったセントラル・アクロポリス。更に後方に5号神殿。
手前はノーズ・アクロポリスに建っていた神殿の基壇。



2号神殿。手前にはノース・アクロポリスの神殿35。



セントラル・アクロポリス

大広場から見たセントラル・アクロポリス。



1号・2号神殿が向かい合う広場を挟んでノース・アクロポリスの反対側が支配者層の居住地区だったというセントラル・アクロポリス。

ここにも多くの建物が建ち並んでいます。

セントラル・アクロポリスは1号神殿より更に東側に広がっていて、かなりの広さもあります。

2階建てかな、と思われるような建物や、マヤ・アーチがよく分かる建物があるので、時間があれば建物の中に入ってみて、その広さを実感したいと思っていたのですが、残念ながら時間の関係で、あまり奥まで行くことができませんでした。


そこで、2004年の写真ですが・・
左下は学校とか病院と言われる建物。右下写真の右奥が迎賓館と言われる建物。
これも2枚をくっ付けて脳内補完して下さい。

   


セントラル・アクロポリスから見た1号神殿、ノース・アクロポリスと球技場




3号神殿

グラン・プラザから少し離れた場所、4号神殿の手前に3号神殿があります。
高さは55mでティカルで3番目に高い建物。
リンテルの彫刻からジャガー神官の神殿とも言われます。
9世紀に31代の王「暗い太陽」が建造したもので、ティカル最後の神殿です。

2004年は修復中で近寄れなかったのですが
今回正面に回ることはできたものの、行って見たら単なる山でした(右)。
どうやら修復されているのは上部だけの様子。左は横から見た神殿上部。
   



4号神殿

遺跡の西の端に位置する4号神殿。
ティカルで最も高い建造物です。



マヤで最も高い建物は、この4号神殿だという説と先古典期のエル・ミラドールだという説に分かれています。どうやら、どこから高さを測るかによって説が分かれるようで、4号神殿を70mとする説はマヤで1番といい、65mとする説は2番目というようです。この建造物はティカル黄金期を築いたイキンによって建てられました。

2004年はジャングルに覆われていた基壇部分ですが、2012年には修復が始まっていました。修復との関係なのか、神殿頂上に通じる階段は以前は右側にありましたが、左側に移動して新しく作られ、登りやすくなってました。

とはいえ・・・登るのは、かなり息が切れます。


高さ65mだとして、ビルの20階相当だそうです。


なんとか登っていくと、高い基壇の上の神殿横に出ます(左下)。
正面に回ると神殿入口に続く階段(右下)。
   

神殿の厚みがこれほどありながら、神殿内の空間は非常に狭いものです。
巨大な屋根飾りを支えるため、厚い壁が必要だったわけです。

神殿のリンテルにはイキンと、その頭上に双頭の蛇が刻まれていたことから
4号神殿は「双頭の蛇の神殿」とも呼ばれています。
このリンテルはグアテマラ国立考古学民俗学博物館に展示されています。



この神殿から見る景色は、ティカル観光のハイライトでしょう。
写真は左から1号神殿、2号神殿、3号神殿



下は2004年の写真。雨季に訪れたのでジャングルの緑がより鮮やかです。



次も2004年の写真
カメラを少しひいて・・右に5号神殿の頭頂部が見えるんですが、ちょっと分からないですかね。
実際には、更に右側に失われた世界の神殿も見えます。


ジャングルの緑はやはり雨季ですね。でも、暑くて蒸して死にますが。



失われた世界

ティカル遺跡の西の端、4号神殿から南寄りに進むと、失われた世界と呼ばれる区画に出ます。

「失われた世界」という名前は、えらいかっこいいですが、実際は初期の調査の際、リストから漏れちゃったから、こう名付けられたんだそうです。ここは先古典期(紀元前700年ころからという説もあるようです)から建設され始めた非常に古いもので、古典期に入っても増改築が繰り返されて現在の姿になったもの。先古典期から天体観測のために使われていたということです。

写真は失われた世界で最も高い中央ピラミッド。


マヤでは先古典期から古典期初期に大きな仮面で神殿を飾ることが流行ったということは前記しましたが、この神殿も正面の階段の両脇に仮面があったということです。

ただ、このピラミッドは登れないし、下から見た限りでは仮面の存在はよく分かりません。仮面を保護しているらしき屋根は見えるんですが・・・。


この失われた世界は、テオティワカンの影響が強く見られる場所でもあります。テオティワカンとの関係で論争を巻き起こした投槍器フクロウのマルカドールは失われた世界の南側の建物から発見されました。下の写真は失われた世界の北西部にあるピラミッド。テオティワカン独特のタロー・タブレロ様式で建てられています。




左下は上の写真の建物を正面からみたところ。
右下は低層の基壇。タルー・タブレロ様式だけでなく、テオティワカン・ゴーグルも彫られています。
   


ジャングルの中を移動していくと、次々に建造物が現われます。2004年に比べて、かなり修復が進んでいる印象を受けました。しかし、ティカルの地図を見ても名前も分かりません。ティカルでは素晴らしい建造物が多すぎるからでしょうか・・・・・。

   



7つの神殿の広場

 ジャングルを歩いて、7つの神殿の広場に出ました。




ここは2004年に訪れた時とは見違えるほどに復元されていました。
左下の写真は2004年。何か発掘してるのは分かったんですが、まあ単なるジャングルでした。
それが2012年では名前通り7つの神殿が並んでました(右下)。
   


7つの神殿は虹を祀るもので7色に塗られていたとも言われています。

下の写真は7つの神殿のうち、中央の神殿。最も立派な神殿です。



下の写真の建造物も7つの神殿の広場を構成する建物のようです。



この広場は他にも3つの球技場があります。見た目は単なるジャングルと道なんですが
もしかしたら、数年後には立派な3つの球技場が復元されているかもしれません。


7つの神殿の横を通って進みます。建ち並ぶ7つの神殿の後ろ姿も壮観(左下)。
少し歩くと、また巨大な素晴らしい神殿の後姿が見えて来ました(右下)。
   



5号神殿

遺跡の南にある5号神殿です。




グラン・プラザのところでもふれたように5号神殿はセントラル・アクロポリスの南に位置します。

左はセントラル・アクロポリスから撮った5号神殿。
巨大な屋根飾りが何とも言えない威容を誇っています。

5号神殿の高さは57m。ティカルで2番目の高さで、カラクムルを破ったハサウによって建てられました。

この神殿の上からはグランプラザを見下ろすことができ、その眺めは4号神殿からの眺めに匹敵する素晴らしさなのですが、残念ながら2012年には登頂禁止となっていました。

なんでも2012年に私が訪れた少し前に転落事故による死者が出たのだそうです。
正直、2004年に訪れた時、そのうち、きっと誰か死ぬだろうなとは思いましたが・・・・。足場が悪いというより、高所恐怖症の人には無理なんだと思います。階段というより梯子だったので・・。2012年には梯子が切られていましたが、その後もティカルを訪れた人に聞いてみると登れない状態が続いているようです。

ティカルに限らずマヤのピラミッドは急斜面のものが多いですが、どういう意味があったのでしょう。薬を使ってハイになった神官が儀式を執り行ったとも言われていますが・・・・。


5号神殿に登れた2004年の写真


この眺めは捨て難いので、また登れるようになるといいんですが。



6号神殿

グラン・プラザからちょっと離れたところにある6号神殿
飾り屋根に神聖文字が刻まれていることから碑銘の神殿とも言われます。
高さは12m。4号神殿を建てたイキンにより建てられました。
2012年には時間がなく行けなかったので2004年の写真
もしかしたら、今はもっと整備されているかもしれません。
正面から(左下)と後ろから(右下)

   



コンプレッホ

双子ピラミッド建築複合とも呼ばれるコンプレッホ。


コンプレッホ・双子ピラミッド建築複合とはティカル独特の建築様式で、四方に階段がある同じ形のピラミッド2つをセットとし、それぞれに石碑・祭壇を置く、というもの。
マヤの暦により約20年ごとに訪れるカトゥンの記念日を祝うために、カラクムルを破った26代王ハサウによってつくられたのが最初で、以後、何代もの王がカトゥンの度に新しいコンプレッホをつくりました。

上の写真は29代王ヤシュ・ヌーン・アイーン2世がつくったコンプレッホQ。2つのピラミッドのうち、1つだけが復元されています。このコンプレッホQはティカル入り口からグラン・プラザとは反対の方角を行ってすぐのところにあります。

比較的保存状態の良い石碑もあり、彫られているのは、王が種を蒔く姿もしくは血を流す姿(自己犠牲の儀式))と言われています。

   

遺跡の北側には、コンプレッホが幾つもあります。



2012年、実際に見たルートは、
コンプレッホQ→4号神殿→失われた世界→7つの神殿の広場→5号神殿→グランプラザ
その後、博物館でハサウ・チャン・カウィールの墓の復元や石碑31を見学しました。


2004年8月に訪れた時は雨季でうだるような暑さでしたが、
2012年GWは乾季で驚くほど涼しかったです。
でもジャングルの緑は、やはり雨季の方が素晴らしいですね。
7つの神殿の広場など修復・復元が進んでいるのには驚きました。
遺跡入口付近に日本が新しい博物館を建てているので今後出土品の展示もより充実すると思われます。

ただ、2004年にはうるさいほどだったホエザルの声が全くしなかったのは寂しかった・・・。
クモザルの数も減っていた気がする。

マヤ人のペットだったというハナグマはかなり人なれしていましたが・・





ティカルの歴史を見る

グアテマラの遺跡に戻る

中米の遺跡に戻る





参考文献

古代マヤ王歴代誌(創元社 中村誠一監修)
古代マヤ文明(河出書房新書 ふくろうの本 寺崎秀一郎著)
マヤ文明(中公新書 石田英一郎著)
マヤ文明(岩波新書 青山和夫著)
古代マヤ・アステカ不可思議大全(草思社 芝崎みゆき著)
ナショナルジオグラフィック日本版・2007年8月号
マヤ歴史図説 遺跡の現状とその復元図 日本語版(現地で購入)

現地ガイドさんの説明に基づいています。