スース

チュニジア中部の港町スース
サヘル(沿岸部)地方の真珠と呼ばれる古都です。
メディナを囲む城壁と要塞が印象的。
2011年1月訪問

写真はグランド・モスクとメディナを取り囲む城壁


スースはカルタゴ同様、紀元前9世紀ころフェニキア人によって建設されました。カルタゴ陥落後はローマの自由都市となり、その後はビザンティン帝国に支配されます。7世紀にアラブ軍の侵攻で、一度は街は壊滅しますが、その後9世紀になって、ケルアンに都を置いたイスラム王朝によって復興されました。現在もチュニジア第3の街で、人口は80万人。


リバト

スースのメディナ(旧市街)の北東、最も高い位置にリバトはあります。

リバトというのは初期イスラム社会に見られる軍事的な要塞と宗教的な礼拝所を兼ねた特殊な施設をいいます。

スースのリバトが築かれたのは8世紀。現在、スースに残る最も古い建物で、古い時代のリバトの様式を伝える貴重なものだそうです。

グランド・モスクと広場を向かい合う場所に建てられ、両者相まって、敵が侵攻してきた時の前線基地として、また、街を守る要塞として機能していたと考えられます。

リバトにある高い塔は高さ35m。内部は螺旋階段が続いて上まで登ることができ、そこからの眺めは素晴らしく、街を一望できるだけでなく、海の眺めも格別です。

アラブ人は海からの敵の侵攻を強く意識していたようです。

このリバトは後には神学校として機能するようになり、イスラム教布教の拠点となったのだそうです。


リバト内部。中庭がある2階建ての建物です。
2階に見張り台が幾つもあるのが分かります。
7つの見張り台に1つの見張りの塔。四方八方に目を光らせていたわけですね。
   


見張りの塔から見たスースの街
リバトのすぐ下にグランド・モスクがあり、港もすぐ近くなのが分かります。



城壁が続いた向こうに新市街も見えます。
スースの城壁は700m×500m。
メディナ(旧市街)は敵の侵入に備えて道が狭いのだそうです。



塔の上から色々な方向を見ていたら、遠くに大きな建物が見えました。右が望遠で撮ったもの。
現地ガイドさんに聞いたところ、これも要塞だそうです。大きな塔はやはり見張りのためのものでしょうか。
帰国後調べたら、支配者の居住区だった城塞カスパのようです。
   


塔から降りて、2階をうろうろしてみました。
銃眼というのでしょうか。戦を意識した造りです。
この2階はモスクもあったそうです。
     



グランド・モスク



広場を挟んでリヤドの向かいに建つグランド・モスク。リヤドより少し後の8世紀に建てられたもので、要塞としての機能も持っていたそうです。
リヤドの塔からはグランド・モスクの全景がよく分かります(下)。スースのグランド・モスクにはモスクにつきもののミナレット(礼拝をよびかける塔)がありません。リバトの塔がミナレットとして利用されていたのだそうです。リバトとモグランド・モスクは一体化して機能していたんですね。





朝市

朝、市場を見ることとなりました。
城壁前の広場から、城壁に沿って市場を目指します。
坂の下に水揚げされた魚が並んでいました。
   


振り返って城壁を撮ってみました。かなり立派。



スースは港街だけあって、やはり魚が凄い。格好いい魚が売られていました(左下)。図鑑で見たことがあるような気がしますが、なんていう魚でしょうか。おいしいのかな? また、魚がぎっしり箱詰めにされているのにはびっくり(右下)。こういった魚の詰め方って、日本じゃ見ませんよね。

   


魚の近くにはお約束の猫たち。野良なのに実に毛並みがいい。
かなり街の人たちに可愛がられている様子。イスラム圏の猫は幸せですね。
     


魚はもちろん、フルーツや野菜も売られています。
     



夜のスース

実はスースには夕方着きました。
夕方からメディナを散策したのですが
ライトアップの始まった景色は実に幻想的。

夕闇が始まったころのリヤド



グランド・モスク



街の中心 左手に城壁が残ります。
ショッピングセンターの裏手にリヤドやグランド・モスクがあります。



城壁内のメディナ



グランド・モスクと城壁の間の商店



スースは夜の姿も魅力的


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参考文献

世界遺産を旅する2(近畿日本ツーリスト)
21世紀世界遺産の旅(小学館)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。