バードシャーヒ・モスク

バードシャーヒ・モスクとは皇帝のモスクという意味
ムガール帝国第6代アウラングゼーブ帝の建てたモスクは世界最大規模
ラホール城に向い合って建つ姿は壮観です。
2015年1月訪問

写真は正面から見たモスク


バードシャーヒ・モスクは1673年にムガール帝国第6代アウラングゼーブ帝がラホールの金曜モスクとして造営したモスクです。イスラム教徒は金曜日にモスクに集まって礼拝を行いますが、その街で中心となる大きなモスクを金曜モスクと呼びます。
アウラングゼーブ帝はラホール城に向い合う形で、この巨大なモスクを建てました。一度に10万人が礼拝できるという世界最大規模のモスクで、赤砂岩と白大理石を利用して建てられています。

ラホールの旧市街、ラホール城の城壁が見えるところで車を降りました。

派手な建物はシーク教徒の寺院。
後ろに見えているのがモスクのミナレット(尖塔)。
 
 巨大な城壁はラホール城の城壁。
写真は裏門。そばの入口を入ります。


入口を入ると綺麗な庭園があって、その先に巨大なモスクの入口・ゲート。



巨大なミナレット(尖塔)
礼拝を呼びかけるための塔です。
 
 巨大なゲート。
赤砂岩で造られています。

モスク入口で靴を脱ぎ、靴を預けます。
振り返ると立派な白い門。ラホール城のアラムギリ・ゲートです。
ラホール城もモスクも世界遺産。贅沢な場所です。
アラムギリーゲートとモスクの間は美しい公園となっています。



バードシャーヒ・モスクとアラムギリ・ゲートを建てたのは、ムガール帝国第6代皇帝アウラングゼーブ帝。
父はタージ・マハル廟の建設で有名な5代皇帝シャー・ジャハーン。母はタージ・マハルに葬られたムムターズ。

父シャー・ジャハーンはデカン高原に領土を広げ、帝国の最盛期・安定期を築いた賢帝でしたが、愛妃ムムターズの死後は生活が荒れ、やがて病に倒れます。
それを機に次期皇帝を巡る争いが生じ、アウラングゼーブはシャー・ジャハーンをアーグラ城のタージ・マハルが見える塔に幽閉し、兄弟を殺して皇帝となります。

アウラングゼーブは帝国の領土を最大にした皇帝でしたが、厳格なイスラム教徒でイスラム教以外の宗教を弾圧するようになります。
右はラホール博物館にあったアウラングゼーブ帝の肖像画。厳しい表情です。

ムガール帝国初代バーブルは中央アジアに帝国を築いたティムール直系の子孫でモンゴル系・トルコ系です。つまりムガール帝国の支配者はインドにとって外来者だったわけです。
3代アクバル大帝はインドの旧勢力であるヒンドゥー教との融和を図り、その後の皇帝もそれを踏襲してきました。この融和策がムガール帝国の繁栄を築いたといっても良いと思います。

しかし、この伝統をアウラングゼーブは捨て、ヒンドゥー教徒にイスラムへの改宗を迫ったといいます。

世界最大規模のモスクを造営したというのも熱心なイスラム教徒だったからなんでしょうね。
パキスタンはイスラム教徒の国ですからアウラングゼーブは非常に敬愛されています。
(でも、インドでは人気ないんですって)


入口の門を入ると巨大さを実感。
広すぎてミナレットを入れて写真を撮ろうとすると建物が小さくなってしまいます・・・。


礼拝堂は3つの巨大なドームを持ちます。
礼拝堂の四隅にも小さなミナレット。

礼拝堂近くから入口方向を撮ってみました。中庭の巨大さが分かるでしょうか。
確かに、これだけ広ければ10万人も収容できるかも。


写真からも分かるようにモスクは広大な中庭・広場を持ち、その四方を回廊が取り囲んでいます。この一辺が160mもあるとのこと。そして、四隅に立つミナレットの高さは約50m。現地ガイドさんによるとミナレットは僅かに外側に傾いていて、これは万が一ミナレットが倒れた時、中庭・広場に倒れて負傷者が出ないようにしたものなんだそうです。また、回廊部分はかっては神学校でした。

モスクは赤砂岩を基調とし、白大理石がアクセントのようになっています。礼拝堂の3つのドームや六角形のミナレットの屋根も白大理石。礼拝堂の前には白大理石で噴水も設けられています。

白大理石がまぶしい。
 
 ミナレット内部の階段は約200段。


正直なところ、5代シャー・ジャハーン帝の建物のような華麗さはありません。
6代アウラングゼーブ帝は普段も質素だったと言いますし、目指す方向が違うんでしょうね。
それでも「皇帝のモスク」と言われるだけの格調を供えている気はします。

それに、このモスクの赤砂岩はインドのジャイプールから運ばれたもの。
しかも、巨大なモスクはわずか2年で完成したといいます。ムガール帝国最盛期の力ですね。




礼拝堂入口
   


礼拝所の中は白大理石で造られていました。ひんやりして涼しい。金銀宝石を使っているわけではないのですが、繊細なアラベスク模様が見事です。全体的に品が良い・・・といった印象。

メッカの方角を向くミフラーブ
 
 ミフラーブ周辺


ドームの天井
 
壁の美しいアラベスク模様
 


内部には7つの礼拝所が並んでいます。
アラベスク模様が微妙に変化して美しい。基本は花模様。
   


逆光になってしまいましたが、横から見た礼拝所



 ミナレットと回廊
 回廊の窓から見えたパキスタンタワー


中庭から見たゲート
ゲート付近には寄贈された豪華な刺繍のコーランなどが展示されていますし
ゲートの内部も博物館のようになっています。



ゲート内から見たモスク



イスラム教に傾倒したアウラングゼーブ
やがてヒンドゥー教徒達の離反が始まります。
アウラングゼーブ帝の死後、帝国は急速に衰えていきます。
シーク教徒に支配された時、モスクは馬小屋にされたといいます。


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参考文献

ユネスコ世界遺産D(講談社)
世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。