サンチー

デカン高原北部、ボパールの北約50キロ
インド最古の仏教遺跡サンチーがあります。
ストゥーパと鳥居に似たトラナ(塔門)で有名。
2001年5月、2006年1月訪問

写真は第1ストゥーパとトラナ(北)


古代インドで最初の統一王朝を打ち立てたマウリヤ王朝のアショカ王(紀元前3世紀)は仏教に帰依し、その普及に努めたことで有名です。アショカ王は統一の過程における戦の悲惨さを身に染みて感じ、国家の平和のため、仏法を国内統治の基本としたといいます。

サンチーの第1ストゥーパは、アショカ王がお釈迦様の骨・仏舎利を収めるために建立したもの。
仏教は後のクシャナ王朝のカニシカ王(後2世紀)によっても敬われ、以後、サンチーは仏教の聖地として栄え続けました。しかし、13世紀のイスラム教徒侵入により衰退し、14世紀以後は忘れ去られた存在になってしまいます。1818年に発見されたものの、乱掘・盗掘等で荒らされ、ようやくその重要性が認識されるようになったのは20世紀に入ってのことでした。

現在、サンチーでは3つのストゥーパと僧院跡等を見ることができます。
最初にサンチーを訪れた2001年の写真。荒れ果てた地という印象を受けました。


入口を入ると2つのストゥーパが見えます。
左が第3ストゥーパ。右奥が第1ストゥーパ。



第1ストゥーパ

2006年1月の第1ストゥーパ。
随分と整備されていました。ストゥーパも修理中。


お釈迦様の遺骨を祀るストゥーパは、ご覧のように半球型のドームになっています。ドームの直径は36m。アショカ王が建立した時は、約半分の大きさで、以後、拡張されたものだそうです。

てっぺんに小さな三重の塔のようなものがありますが、これは傘蓋と呼ばれるもの。お釈迦様のような偉い人の場合は三重になっています。現在・未来・過去を意味するのだとか。

ストゥーパの周囲に礼拝用の回廊があり、それを欄楯(らんじゅん)という石の柵で囲んでいます。本来は、このストゥーパの周りを右に3回廻って礼拝したのだそうです。

そして、ストゥーパの周囲東西南北に鳥居の起源ではないかともいわれるトラナ(塔門)が建てられています。このトラナのレリーフがサンチーの見どころのひとつです。

第1ストゥーパの本来の正門である南側から撮ったもの。


鳥居のようなトラナにはアショカ王のライオンが彫られています。


最も保存状態の良い北側のトラナ


北側のトラナでは南側のトラナでライオンがいた場所に象が彫られています。そして、その脇には
樹下ヤクシー(門を守る女神)が彫られ、持ち出しの梁を支えています。

日本の鳥居は横に2本ですが、トラナでは3本の横梁が並び2本の柱が支えます。全体にびっしりと彫られたレリーフが美しく、見事です。

東側のトラナ(左下)も象とヤクシーですが、西側のトラナ(右下)ではヤクシャが支えていました。

   

正門だった南側のトラナが最も古く、次いで北、東、西の順に紀元1世紀前半の2~30年間で作られたと言われているようです。
どのトラナも全ての横梁の両端に渦巻き模様が彫られていますが、現地ガイドさんによると、これはお釈迦様の教えがあまねく広がるように、という意味なんだとか。


四方のトラナを撮ってみました。
 北側
 東側


南側
 
 西側



東側のアップ
上から二段目はお釈迦様の出城の場面。
三段目はアショカ王のブッダガヤ巡行の場面。中央に菩提樹。


1世紀という古い時代には、仏教ではお釈迦様の姿を彫ることはありませんでした。お釈迦様の誕生は蓮の花で、お釈迦様は菩提樹で、お釈迦様の説いた真理・教えは法輪で、それぞれ象徴的に表現されています。
つまり、菩提樹を拝んでいるのは、お釈迦様を拝んでいるのと同じ意味なわけですし、法輪を拝んでいるのはお釈迦様が説法をしているところを表しているわけです。


南側のトラナからストゥーパを廻る回廊に入ると上に登ることができます。



回廊を登るとトラナの横梁を裏から間近に見ることができます。
北側のトラナを後ろから撮ってみました。



北側のアップ
真ん中の梁に彫られているのは降魔退散
右側に悪魔の軍団が、左側にお釈迦様が菩提樹で表されています。



北側のトラナはレリーフが細かく本当に綺麗。
   


 東側
法輪やストゥーパを拝む人々。
 西側
下の梁では象がストゥーパを拝んでます。



トラナはそれぞれ美しく、見飽きません。

 樹下ヤクシー
上には孔雀のレリーフ
ヤクシャ
4人それぞれ表情が違います。
 


柱部分もレリーフがびっしりと彫り込まれていて見事です。

北側の柱部分
 
 日本でもお馴染みの仏足跡


左下上段ではお釈迦様の象徴である菩提樹を人々が拝み、上から天女が祝福しています。下段は川の情景ですが、横の長方形はお釈迦様の象徴で水の上を歩く釈迦を表しているそうです。
右下上段はお釈迦様の前世のお話。お釈迦様が前世で猿だったとき、他の猿を守るため、自分の身を橋にして仲間を逃したという説話を描いています。下段は菩提樹を皆で拝んでいます。 

   



ストゥーパの周囲を囲む欄楯でもレリーフがポイント的に使われていました。
左下は柱頭をライオン像で飾るアショカ王柱・・かと思ったら、上にいるのはライオンではなく象です。
実はアショカ柱はライオンだけでなく象や馬などが置かれたものもあったのだそうです。
象の上にはお釈迦様の教えの象徴である法輪が描かれています。

   



アショカ王の石柱

第1ストゥーパの近くに屋根で保護された柱がありました。
アショカ王が建てた石柱です。





第3ストゥーパ



第1ストゥーパのすぐそばにもストゥーパがあり、これが第3ストゥーパです。直径15m。第1ストゥーパの半分以下の大きさです。トラナも南側に一つあるだけです。

てっぺんにある傘蓋が一つなのは、これはお釈迦様のお弟子さんの遺骨を祀るストゥーパで、お釈迦様のような悟りを開いていないから、ということなのだとか。

このストゥーパからは2つの舎利容器が見つかっており、そこには、サーリプッタ(舎利弗)とマハーマウドゥガリヤーヤナ(摩訶目犍連・モッガラーナ)という十大弟子2人の名前が記され、人骨と水晶・真珠が入っていたのだそうです。
サーリプッタは智慧第一、モッガラーナは神通第一と言われ、十大弟子の中でも特に二大弟子と呼ばれます。そんな2人の遺骨が祀られていたわけですから、やはり凄いストゥーパです。




石造寺院



第1ストゥーパの南側に小さな建物がありました。帰国後調べたら、これは中世初期の石造寺院の形をほぼ完全に伝える建物なのだそうです。




僧院跡



第1ストゥーパの近く、少し低くなった場所に僧院跡があります。かって、サンチーには多くの僧院があったということですが、これは比較的良く残っています。
第1ストゥーパに面した側に入口があり、その反対側に仏堂があったそうです。小さな部屋は僧が暮らした僧室です。


次は第2ストゥーパを見学です。
僧院跡を抜けて第2ストゥーパを見学するために坂道を降りて行きます。

 坂の途中から見た第1ストゥーパ
しばらくすると 第2ストゥーパが見えて来ました。



第2ストゥーパ



第2ストゥーパ、大きさは第3ストゥーパと同じくらい。直径14m。頂上に傘蓋もなければトラナもありません。シンプルなこのストゥーパは紀元前2世紀から前1世紀ころに建てられたもので、現在、サンチーにあるストゥーパの中で最も古いものです。

ストゥーパの周囲を囲む欄楯は後の時代のものですが、ここのレリーフも結構、綺麗です。

デザイン的なもの(左下)もあれば、動物のレリーフもあり、右下などは羽がある馬のように見えます。ペガサスなんでしょうか。

   



サンチーは僻地にあり、観光は大変です。
しかし、歴史的な意味も大きな遺跡ですし、レリーフの美しさは際立ってます。
アジャンタ・エローラより感動したという人もいました。



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参考文献

ユネスコ世界遺産⑤(講談社)
世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)
現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。