マハーバリプラム

南インド・ベンガル湾に臨むマハーバリプラム。
かって南インドを支配したパッラヴァ朝の良港として栄えました。
古い時代の様々な寺院が残ります。
2010年8月訪問。

写真は海岸寺院


マハーバリプラムは南インドのチェンナイ(旧マドラス)から南に60キロ行ったところにある小さな町です。しかし、6世紀から9世紀にかけて、マハーバリプラムは南インドを支配したパッラヴァ朝の貿易港として栄えました。パッラヴァ朝は東南アジアとの交易が盛んで、マハーバリプラムは海外交易の拠点だったわけです。

マハーバリプラムでは巨大な岩を彫って造られた石窟寺院や、岩から彫り出した石彫寺院、石を積み重ねて造られた石造寺院といった古い様式の寺院や彫刻・レリーフを見ることができます。



アルジュナの苦行



「アルジュナの苦行」は高さ約9m、幅約27mという巨大な岩に彫られたレリーフで、世界最大のレリーフと言われています。近くに人は入れませんが、岩に彫られている象が実物大なので全体の大きさが分かると思います。19世紀まで砂に埋もれていたため保存状態もよく、大変綺麗。

ガンジス河を地上に下すためのアルジュナの苦行が彫られていることから「ガンガーの降下」とも言われています。

岩の中央に縦に走る溝をガンガー(ガンジス河)に見立て、川の象徴である体が蛇のナーガとナーギを彫っています(左下)。左下の写真のナーガの左上に痩せた男が両手を上げ、片足で立っています(苦行中)が、これがアルジュナ。アルジュナの左に立っている立派な人物はシヴァ神です。天人・天女が空を飛び、地上には水を祈る人々や象や猿・猪・鶏などの動物が彫られています。
   



クリシュナのマンダバ

アルジュナの苦行が彫られている岩の周囲は岩山になっていて、幾つかの石窟も彫られています。

写真はクリシュナのマンダバと呼ばれる石窟のレリーフ。

一つの岩をくり抜いて、7世紀に造られたものだそうです。

ここでは、大雨から村人を守るクリシュナが彫られています。

片手を上げているのがクリシュナ。
空を押さえているんですね。軽々とやっている感じです。

クリシュナの周囲には村人や動物たちが彫られています。

ミルクを運ぶ女性や牛の世話をする男性(右下)といった村人や、牛や犬、更には獅子でしょうか、大雨から救われた動物達。

村人の様子が妙にのどかです。

レリーフが彫られた7世紀ころの村の日常生活を描いているのでしょうね。

   



クリシュナのバターボール

アルジュナの苦行の近くにある不思議な巨石



斜面の途中で止まっている巨石。なぜ止まっているのか分からない、不思議な巨石はクリシュナのバターボールと呼ばれています。かって王が5頭の象を使って動かそうとしたものの、びくともしなかったと言われています。この岩、裏手にまわると、まるで巨大なナイフですぱっと切り取られたような形になっています。
記念撮影にはもってこいの場所で、地元の人たちも、色々なポーズでかなり盛り上がってました。


トリムールティ・ラタ

クリシュナのバターボールから少し歩いたところにも石窟寺院があります。

   

この石窟も一つの岩をくり抜いて造られたもの。3つの壁龕があって、左にはブラフマー、中央にはシヴァ、右にはヴィシュヌが彫られています。また、この石窟の前には丸い沐浴場のようなものも彫られていました(右上)。


ガネーシャのマンダバ


クリシュナのバターボールからトリムールティ・ラタの反対方向に少し進んだところに、ガネーシャのマンダバがあります。

単なる小さめの寺院のように思えますが、実は、これも岩をくり抜いて造ったもの。
山車の形で、元々はシヴァ神を祀っていたのだそうです。

それにしても、マハーバリプラムの人たちは岩を彫るのが好きですね。石を切って積むより、彼らにとっては岩を彫り出してしまう方が楽だったのでしょうか。

岩を彫り出して作った寺院としてはエローラのカイラーサ・ナータ寺院が有名ですが、カイラーサ・ナータ寺院もいきなりできたものではなく、このような南インドの石彫寺院の伝統があってのことなんですね・・・。
カイラーサ・ナータ寺院の建築が始まったのは8世紀ですから、当時既にマハーバリプラムには石彫寺院が幾つもあったはずです。



ヴァラーハ・マンダバ(ケイブ)

   

ガネーシャ・マンダバの先を更に岩山を進むと、ヴァラーハ・マンダバに出ます。ここも岩をくり抜いて造ったもの。ヴァラーハというのはヴィシュヌ神の意味だそうで多くのレリーフが彫られています。
右上の写真は怒りのヴィシュヌ神。足を振り上げています。

左下は猪の化身。ヴィシュヌの化身である猪が妻ラクシュミーを抱き、片足を5つの頭を持つナーガにかけています。下中央はヴィシュヌの妻ラクシュミーの誕生。象がラクシュミーを祝福しています。右下はドゥルガー女神に自分の首を捧げるシーン。女神の左下の男性が自分の頭を斬ろうとしています。

     



ファイブ・ラタ



アルジュナの苦行の彫られた岩山から少し離れたところにファイブ・ラタ(5つの石彫り寺院)があります。少し離れたところから見ると、単に幾つもの寺院が建っているようにしか見えませんが、実はこの寺院は全て巨大な1つの花崗岩から彫り出されたもので、建造物ではなく「彫刻」なのです。

これらの寺院が彫り出されたのは7世紀中ごろ。ラタというのは「山車」という意味で、元々は祭の時に使う木製の山車を恒久性を願ってか岩で作ろうとしたようです。5つの寺院にはマハーラーバタの5人の王子の名前がつけられています。
興味深いのは5つの寺院が、それぞれ異なる形をしていること。この5つの寺院は南インドの寺院建築の原型とされ、後の寺院はこれらの寺院の様式が発達していったものなのだそうです。

手前の3つは小ぶりの寺院で、それぞれ動物がセットになっています。
     

左はドラヴァティー・ラタ。シンプルな屋根で茅葺の屋根をモデルにしているようです。前にはライオンがいます。ライオンはドゥルガー女神の乗り物だそうです。
中央はアルジュナ・ラタ。屋根は水平層が3段に重なっていて南方系シカラの原型です。後ろには大きなナンディ(聖牛)がいました。ナンディといえばシヴァの乗り物として有名です。
右はナクラ・サハデーヴァ・ラタ。正面から見ると分かりませんが、後ろは丸くなっています。横にはインドラ神の乗り物である象が彫られています。


ビーマ・ラタ(左下)とダルマラージャ・ラタ(右下)
   

左のビーマ・ラタは切妻屋根が特徴的でファイブ・ラタで最も大きな寺院です。内部は彫りかけで未完成になっています。
右のダルマラージャ・ラタは屋根が4層になっていて、ファイブ・ラタで最も高い寺院です。これも未完成のままになっています。

裏手からみた寺院
左からダルマラージャ・ラタ、ビーマ・ラタ、アルジュナ・ラタ、ナクラ・サハデーヴァ・ラタ




海岸寺院

海岸寺院は文字とおり海岸近くにあります。



海岸寺院は現在も海のそばにありますが、創建当時はもっと海に近く波打ち際に建っていたそうです。建てられたのは7世紀後半。南インドを支配したパッラヴァ王朝の最盛期ナラシンハ・ヴァルマン2世によって建立されました。かっては同じような寺院が他にも6つあったそうですが、他の寺院は全て海に沈んだのだそうです。この寺院も2004年の大津波を受けました。

マハーバリプラムの他の寺院は岩山を削った石窟寺院だったり、岩山から彫り出した石彫寺院でしたが、この海岸寺院は石材を切り出して加工し積み上げるという建築様式をとっています。

現在の私たちからすると石の寺院といえば切った石を積み上げて建てるのが当たり前という気がしますが、南インドで初めて、そのようにして造られた石造寺院がこの海岸寺院です。

本堂の屋根は水平層を重ねた形。後の南方型シカラの原型ですね。

寺院は2つの祠堂からなっていて、手前の小祠堂の入口は陸側ですが、後ろの大祠堂の入口は反対の海側を向いています。

小祠堂も大祠堂もシヴァ神を祀っているのですが、面白いのは小祠堂の裏側、大祠堂との間にも部屋があり、そこに横たわるヴィシュヌ神が彫られていることです。

このヴィシュヌ神は古いもので、かっては波がヴィシュヌ神に届いていたとか。このヴィシュヌ神を挟む形に海岸寺院が建てられたとも考えられているようです。

寺院の周囲にはシヴァ神の乗り物ナンディが並びます。


寺院に残るレリーフ。シヴァ神のものが多いようです。
中央の写真は祠堂内のシヴァ・リンガとシヴァ神と妻パールヴァティのレリーフ。
     



パッラヴァ王朝の象徴は獅子だったということで、海岸寺院には獅子の彫刻がいたる所で見られます。興味深いのが右下の獅子。獅子の体には女神が彫られており、これはドゥルガー女神なんだそうです。そして、獅子の横には首のない子牛・・・でしょうか?生贄の様子なのか、獅子の胸部分がくり抜かれ、内部にレリーフが彫られているのも謎です。

   



もう一つの謎が寺院の横にある不思議な場所。低くなっていて、丸い池のようなのは沐浴場なのでしょうか?それより謎なのは不思議な動物の彫刻。ガイドさんはこれは犬でシヴァ神は昔は犬に乗っていたのだというのですが、犬に見えない・・・。

   



海は海岸寺院のすぐ近く。
ベンガル湾は美しかったです。




それにしてもマハーバリプラムの人たちの岩へのこだわりは凄い。
インド建築の源流のような場所ですね。



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参考文献

世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)

現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。