イラクリオン考古学博物館

クレタ島最大の街イラクリオン
街の考古学博物館ではクレタ島の出土品を展示しています。
クノッソス宮殿のオリジナルは全てここにあります。
2016年9月訪問

写真は牛飛びの儀式(クノッソス宮殿出土)


クレタ島最大の街イラクリオンにある考古学博物館はクレタ島からの出土品を展示する博物館です。アテネの考古学博物館は素晴らしい博物館ですが、クレタ島からの出土品は全くなく、クレタ島の出土品を見たければ、ここに来るしかありません。クノッソス宮殿の遺跡の壁画は全てレプリカで、オリジナルは全て、この博物館にあります。クノッソス宮殿と合わせて訪れたい場所です。

アテネの南に位置するクレタ島はエーゲ海で最も大きな島で、地中海の中でも5番目の大きさ。四国の約半分の面積。アジアにもアフリカにも近い場所に位置することから、古代から海上貿易で栄えました。最も見どころとなるのはクノッソス宮殿を初めとするミノア文明の出土品ですが、それ以前のキクラデス文明や後のミケーネ時代・ローマ時代の出土品も展示されています。


キクラデス文明



キクラデス文明はクレタ島の北、エーゲ海の大小200もの島々からなるキクラデス諸島で紀元前3000年ころから起こった初期青銅器時代の文明です。写真のような大理石でできた人物像が特徴。鼻しかありませんが、目や口は描いていたようです。
エーゲ海の島々は天然資源が不均一に分布するため、島々が互いの特産品を交換し合うための海上交易が盛んになりました。クレタ島にも、この文明の影響が及びましたが、紀元前2000年ころ、キクラデス諸島の集落は謎の終焉を迎えます。


ミノア文明

キクラデス文明が終焉を迎えた紀元前2000年ころ、クレタ島にこれまでの集落の建造物とは桁違いの大きさを持つ「宮殿」が出現します。ミノア文明の登場です。イラクリオンからほど近い場所にあるクノッソス宮殿がその代表的遺跡。宮殿は王が祭祀を行う場所であると同時に経済活動の拠点だったと考えられています。宮殿には広い中庭を中心に、その周囲に多くの貯蔵庫や作業所、祭祀を行ったと思われる場所、そして居住区が置かれていました。

クノッソス宮殿復元模型
 
 玉座の間周辺 聖なる牛の角がいっぱい。

クレタ島は紀元前1780年ころ大地震に襲われますが、その後復興して新宮殿時代と言う繁栄期を迎えます。紀元前1450年ころにギリシャ本土のミケーネ文明の侵攻を受け、ミノア文明の宮殿は滅びますが、クノッソス宮殿だけは紀元前1350年ころまでミケーネ人が使用し続けました。


ミノア文明の神聖なシンボル

聖なる牛の角
 
 双刃の斧

ミノア文明には牛にまつわるものが多く、宮殿には聖なる牛の角と呼ばれるシンボルが数多く置かれました。また、双刃の斧も数多く飾られていました。クノッソス宮殿は後のギリシャ神話でミノス王が牛頭の怪物ミノタウロスを閉じ込めた迷宮(ラビリンス)のモデルとされましたが、ラビリンスという名の由来は宮殿が1500以上もの部屋を有していたということの他に、宮殿に数多く置かれていた双刃の斧(ラビリス)から来ているとも言われています。

ミノア文明というとクノッソス宮殿が思い浮かびますが、クレタ島ではクノッソス宮殿の他にも、南部のフェストス(ファイストス)、クノッソスに近いマリア、東部のザクロスなど数多くの宮殿が見つかっています。博物館では、これら各地の遺跡からの素晴らしい出土品も見ることができます。

ミノア人は素晴らしい金属加工技術を有していたようです。

マリア宮殿出土の黄金の蜜蜂のペンダント
向き合う2匹の蜂と蜂蜜の滴
 黄金の指輪
ミノス王の指輪と呼ばれています。
 
どちらも実物は小さいものです。細かい細工は驚き。


見事な装飾品
彼らの豊かさが偲ばれます。
 
 豪華な水晶製の壺
紀元前15〜16世紀のもの


なんともモダンな印象を受けますが実は紀元前18世紀ころの土器。カマレス式土器と呼ばれます。
   

カマレス式土器はエジプトなど地中海沿岸各地で見つかっているそうです。
今でもモダンでセンス良く感じるのですから、人気があって各地に輸出されたのでしょう。


  海の生き物を描いた壺も素敵。
実に生き生きとしています。
さすが海洋民族。
紀元前15世紀ころのもの

魚もかわいいけど、タコ大人気。
ギリシャ人は日本人と同じくタコ食べます。
 

優れた技術とセンスの良さを感じさせるミノア文明の出土品ですが、
この文明を生んだ人たちのことは良く分かっていません。

彼らの身長は150〜160cm、黒い縮れた髪の毛に茶色い目。男性も女性も髪を長くしていました。ミノア文明の壁画では、男性は赤銅色の肌に、女性は白い肌に描くというのがお約束となっています。今のトルコ・アナトリア半島から移住してきた人々・・・というのが有力説らしいですが、クレタ島からは色々な人種の骨が出るので、特定できないのだとか。

牡牛に化けたゼウスにさらわれたミノス王の母エウロペは今のレバノンに位置するフェニキアの王女です。フェニキア人は前15世紀ころから海上交易で活躍し始めたそうなのでクレタにも訪れていたのでしょうね。古い記憶が神話に反映されているんでしょう。後にホメロスはオデッセイアの中でクレタについて「90の町があり、おのおの異なる言葉を話し、入り混じっている」と記しました。

そんな当時の人々について、ちょっと想像力を掻き立てられるのが左の小さな壁画。赤銅色の肌の男性とともに黒い肌の男性が描かれています。この黒い肌の男性、アフリカ系ではないでしょうか。髪も短く縮れていますよね。海上交易で賑わった当時のクレタが色々な人種の人々が仲良く暮らすコスモポリタン・シティだったことは間違いなさそうです。

彼らの暮らしぶりを詳しく知りたいところですが、残念ながら彼らの文字(線文字A)は解読されていません。
それどころか、クレタ南部のフェストス(ファイストス)遺跡から出土した円盤には、
他に例のない謎の文字が刻まれています。

フェストス(ファイストス)の円盤
   

文字が余りに可愛いいので、ちょっと紹介。

お花やボタンみたいなもの
   

髪の毛がある人、ない人、女の人?、歩いている人??
             
魚、鳥、「V」の字や「Y」の字に見えるものもあるけど、良く分からないものが多数。

こんなに可愛い文字なのに、誰も解読できず、謎のまま。

文字は解読されなくても、クレタ島がギリシャ神話でとても重要な場所とされていたのは間違いありません。クレタ島はギリシャ神話の主神ゼウスが生まれ育った場所とされますし、クノッソス宮殿の主であるミノス王はゼウスの息子です。でも、ミノア文明が前20世紀ころから前15世紀の文明なのに対し、ギリシャ神話を謳ったホメロスは前8世紀か前9世紀の人物。クレタ島で発見された最古のゼウス神への捧げ物は前1400年ころのもの。クレタにギリシャ本土のミケーネが進出したのが前1450年ころですから、その後ということになります。ということは、ミノア文明ではギリシャ神話とは違う神々がいたはずです。では、彼らの信仰・宗教はどんなものだったのか?

まず、分かっているのは、ともかく牡牛が重要視されていたこと
古い時代から、延々と牡牛の像が作られ続けます。
   



ミノア文明では牡牛は権力の象徴でもあったようです。

左はクノッソス宮殿から発見された牛頭型のリュトン。儀礼用の酒を入れたものではないかと考えられます。
角に金箔が貼られているだけでなく、分かりにくいですが鼻の周りには真珠がはめ込まれている豪華なもの。紀元前16世紀ころのもの。

このように牡牛が重要視されたのは、どういった理由があるのでしょう。ミノア文明が繁栄した紀元前20〜前15世紀ころというのは、インダス文明が繁栄した紀元前26世紀〜前17世紀と重なります。インダス文明でも牡牛は重要視されていたみたいなので、当時の世界的流行だったんでしょうか。

クレタ島の人々がトルコのアナトリア半島から移住してきた人々ではないかと言われていることから、アナトリアで発掘された紀元前7000年前のチュタル・ヒュルク遺跡と関連付ける説もあるそうです。チュタル・ヒュルクでも牡牛が信仰されていて聖なる牛の角に似た物が作られていたようですが、さすがに5000年も前だと、時代が離れすぎという気がします。


ミノア文明では牛を使った行事・競技も行われました。
有名な牛飛びの儀式の壁画・中央部分


牛飛びの儀式というのは、牡牛の角を持って飛び上がり、背に手を付いて反転返りをして着地するという競技で、かなり危険なもの。ミノア人が大変好んだとされています。
上の有名は壁画では、真ん中で牛の背に手をついている人物は赤銅色の肌なので男性、左右の人物は白い肌であることから女性と考えられます。女性も参加した儀式だったんですね。

牡牛の角を掴む少女部分のアップ

少女の真剣な眼差しと牡牛の猛々しさが印象的


牛飛びの競技者像 象牙に金箔が貼られていました。



クノッソス宮殿からは、蛇の女神と呼ばれる不思議な像も発見されています。女性が蛇を手に巻いたり、蛇を掴んでいる小像。古来、子供を産み育てる女性と動植物を産み育てる大地は同一視され、豊穣を祈る地母神信仰が生まれます。この地母神信仰は世界各地で見られるもので、最古のものは紀元前3万年前に遡ります。また、脱皮を繰り返す蛇は不死や再生の象徴とされ、やはり豊穣と結びつきました。クノッソス宮殿から発見された蛇を持つ彼女らは、地母神もしくは女神官と考えられています。2人とも胸を出してるのは意味があるんでしょうか。母性の強調?

両手に蛇を巻いています。
 
 両手に蛇を掴んでいます。頭の上は何故か猫。

牡牛が男性原理、蛇が女性原理という説もあるようです。


こちらは「礼拝者像」 敬礼してるのが、当時の礼拝様式



  収穫を祝う人々の行列が浮き彫りにされているリュトン。豊穣の女神への願いが届いたのでしょうね。

フェストス宮殿の西にあるアイア・トリアザ遺跡から出土した紀元前15世紀前半ころのもの。
人々は小麦のような穀物の穂や熊手のような道具をかついでいます。クノッソス宮殿で買った本を読んだら、リーダーが楽器を奏で、みんなで歌っているんだとか。豊作を祝う歌だったのでしょう。
 



アギア・トリアーダの石棺
この美しい箱は死者を葬る棺。この博物館で是非見たかったものの一つです。



紀元前15世紀ころの棺です。当時の人々の死者を弔う気持ちが伝わってくる気がします。
牛を祭壇に生贄として捧げています。右側には聖なる牛の角。
死者を弔うものなのに全体的に明るい雰囲気



中央部分をアップで撮ってみました。
生贄の牛がなんとも恨めしい表情。

左右の女性、どちらも綺麗だけど同じ人種なのでしょうか。
個性の現れなのか、人種の違いなのか・・・雰囲気違います。


反対側も捧げものを持つ行列



双刃の斧が飾られてます
 
捧げ物を持つ男性たち
 
左上の一番右の人物。女性なのに赤銅色の肌なのが気になる。髪も短くて縮れているような・・・。



1階だけでもお腹一杯になるほどの充実度ですが、この博物館の最大の見どころは2階です。
時間がなかったら、まず2階から見るべき。


2階



2階にはクノッソス宮殿の壁画のオリジナルを中心にクレタ島から出土した美しい壁画が数多く展示されています。保存状態は悪いものの、レプリカより数段美しいオリジナル。必見です。


まずはクノッソス宮殿に飾られていたレプリカのオリジナルを紹介。
献上行列のオリジナルと説明図



献上行列の一部。リュトンを持つ男性像。
 
 百合の王子


百合の王子上半身のアップ


百合の王子という名前の由来は、この人物が百合と孔雀の冠を被り、百合の首飾りを付けているから・・・ということなので、上半身をアップで撮ってみました。正直、百合の花は確認できませんでしたが、美しい立体的な浮彫だったことは分かります。この人物像、最近では肌が白いことから男性じゃなく女性なんじゃないかという説が有力になっているようです。実は女神像だったんでしょうか。立体的な浮彫壁画であることからも重要な壁画だったことは間違いないように思えます。


王妃の間のイルカ。オリジナルはほんの一部みたいです。




北の入口見張り台の牡牛
 
 顔のアップ。凄い迫力。


こちらはグリフィン?浮彫壁画です。



「青の婦人たち」と呼ばれる壁画。オリジナル部分が本当に僅かなのに驚きます。
クノッソス宮殿東翼から見つかりました。




こちらも有名な壁画。でも、よく見ないと分からない。


ここで描かれている有名な壁画は「パリジェンヌ」と呼ばれている女性像。上の壁画の中央左寄りに座っている女性がパリジェンヌです

有名な壁画ですがとても小さいのに驚きます。でも、ミノア文明の壁画は保存状態が悪いものが多いので、この女性像のように上半身が綺麗に残っているのは奇跡とも言えます。

それにしても美しい。パリジェンヌと呼ばれるのは、今のギリシャ人に比べて鼻が高いからなんですって。まあ、ギリシャ人の美人ガイドさんが言ったことなので冗談かもしれませんが。

この女性、目にはアイラインを引き、口紅をつけているようにみえます。カールした髪もお洒落。
そこらへんのお洒落な雰囲気がパリジェンヌと呼ばれる由縁なのでしょう。

それにしても、上の写真の女性たち、いったい、何をしているんでしょうか。座る女性と傍らに立つ女性。座る女性のカップに立っている女性が何かを注いでいるように見えますが・・・。

儀式なのか、宮殿生活の一場面なのか。
彼女は女祭司か女神なのかもしれません。


実はクノッソス宮殿から見つかった壁画には女性が数多く描かれています。
女性たちが王宮で重要な役割を果たしていたようです。

クノッソスの女王と呼ばれる壁画。立体的な浮彫壁画
座っているのは高貴な人物の証。女王ではなく女神かもしれません。



クノッソス宮殿の玉座の間の北に位置する宝物庫から見つかった儀式の壁画
聖なる木の下で踊る少女たち。観衆の男性は赤銅色に塗られています。



手を挙げて踊る少女
 
 女性と男性の観衆

男性を赤銅色で塗りつぶすというのは、ちょっと斬新な技法ですよね。

宮殿で行われる儀式 ここでも男性の観衆は赤銅色
右側の建物にはU字型の聖なる牛の角が並んでいます。



儀式の壁画のところに一緒に展示されていました。白い肌だけど男性?女性?




ミノア文明では動植物も好んで描かれました。
宮殿近くの貴族の家から見つかった壁画も見事です。

青い猿



水鳥



百合の花の壁画は好まれたようです。繊細で美しい。
   


1階に戻ります。

ミケーネ時代

紀元前1450年ころ、クレタ島はギリシャ本土ミケーネ文明の侵攻を受けます。
これによりクノッソス宮殿を除くミノアの宮殿は荒廃しました。
クノッソス宮殿だけはミケーネの人々が使用し続けたようですが、紀元前1350年ころにはクノッソス宮殿も破壊されます。

ただ、ミケーネ時代の居住区はクレタ島全域に広がっていて、かなりの勢力を有し続けていたようです。トロイア戦争は紀元前1250年ころのこととされていますが、当時のクノッソスの王イドメニアは80隻の船を率いてトロイア戦争に参加したと言われています。
しかし、紀元前1100年ころにはギリシャ全土はいわゆる暗黒時代と言われる時代に突入し、文明は衰退します。海の民によるものとも、ドーリア人の進出によるものとも言われます。

左は紀元前800年ころの女神を祀った円形の祠。円形の容器の中で両手を上げているのが女神で、上から人々が覗いています。
ちょっとかわいい気もしますが、ミノア文明に比べると、どうしても稚拙な印象。


両手を上げた女神像。このポーズ流行ってたんですね。




ローマ・ヘレニズム時代

ハドリアヌス帝
後2世紀のローマ皇帝
 
 冥界の王ハデスと3つの頭の番犬ケルベロス
隣は妻ペルセポネでしょうか。


実に見ごたえのある博物館
クノッソス宮殿と合わせて絶対見るべき場所です
大興奮の2時間でした。
できれば半日かけたい。


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参考文献

クノッソス ミノア文明 ソソ・ロギアードゥ・プラトノス著(遺跡で購入した解説書)
古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年展覧会図録)
ギリシャ神話 呉茂一著 新潮社
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説ギリシャ・神話神々の世界篇 松島道也著 ふくろうの本
図説ギリシャ・英雄たちの世界篇 松島道也・岡部紘三著 ふくろうの本
古代地中海血ぬられた神話 森本哲郎編 文春文庫ビジュアル版

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。