敦煌・莫高窟

砂漠の大画廊とも評される敦煌・莫高窟
莫高窟は世界最大規模の仏教石窟寺院でもあります。
楡林窟・安西東千仏洞・西千仏洞も訪れました。
2006年5月訪問

写真は莫高窟96窟


莫高窟は敦煌の街からは約25キロ、鳴沙山の東端の断崖に彫られた石窟群です。
伝説によれば五胡十六国時代の366年に鳴沙山を訪れた僧が金色の千仏を見て石窟を作り始めたと言われています(近くの三危山に仏の姿を見て対岸の鳴沙山の断崖に彫ったんだという説もあるそうです)。
地球の歩き方などの日本で買った本によると「492の石窟」が確認されているとありましたが、現地ガイドさんによると、これは壁画や塑像のある石窟の数で、最近では僧が暮らした「僧院も合わせて735の石窟がある」と説明しているとのこと。

莫高窟の石窟の中で、一番古いものとされているのは5世紀前半の北涼期(五胡十六国時代)で、その後、北魏、隋・唐、五代十国、宋、西夏、元と延々1000年に渡って石窟の造営が続いたというから凄いですね。中国の各王朝の美術史が詰まっているような場所です。

   

敦煌市内のホテルを出てからバスで30分ほど。ゴビ砂漠の中に緑が見えてきました。莫高窟は、オアシスの中にあるようです。

手前の駐車場でバスを降りて、高僧の供養塔(左上)とかを見ながら少し歩くと、乾ききった河にかかる橋に出ました(右上)。この川は大泉河というそうです。う〜〜ん、名前負け?それとも時期によっては水量が多くなるのでしょうか。河は乾ききっていましたが、向こう岸は緑が広がるオアシスとなっています。緑の果てには僧たちが暮らしたという石窟群がかすかに見えました。

橋を渡ると、急に緑が濃くなりました。オアシスって凄い。最近作られたらしい大きな天女の像(あんまり良い趣味とはいえない)とか、こんな門があって、さあ、いよいよ、莫高窟ですよ〜という雰囲気を盛り上げてます。



ということで、期待感も高まり、わくわくなのですが、ここで添乗員さんや現地ガイドさんから、莫高窟の観光には色々と制約が多いということの説明が繰り返されました。
カメラの持ち込み禁止というのは、耳が痛くなるほど聞きました。大きなバッグも禁止。はい。小さなウエストポーチを用意してます。でも、それだけではないんですよね・・・。

まず、開放されている石窟自体がごく一部。研究や補修・保護のために閉まってる石窟も多く、どの石窟が開放されているかは当日にならないと分からないことも多いようです。
しかも、見学にはガイドがつき、そのガイドが選んだものをガイドの考える順番で見て行くんだとか。つまり、お客にはどの石窟を見るかの決定権がないんですよ。

さらに更に・・公開窟には一枚の入場券で見られる一般窟の他に、見学するのに特別料金がかかる特別窟というのがあります。しかも、この特別窟、一つ一つの石窟ごとに料金が取られるのです。料金は100元から200元くらいのものが多く、一番高いのは500元とか。ちなみに私が行った2006年5月当時、1元は15円だったので1500円から3000円のものが多いということ。5つくらい見れば1万円になっちゃうわけです。しかも、はっきりいって、莫高窟の石窟の中で有名なものは、ほとんど特別窟なのです。あこぎな商売と言わずにはおられません。

とはいえ、やっぱり、楽しみです。
上の写真の門から、ちょっと歩くと、いよいよ莫高窟。
これが莫高窟の外観。
ずらずらと石窟が並んでいます。大体、3階建てくらいかな・・・。
写真を見ればお分かりのように、柵があって、あの中に入ると、もう写真撮影禁止です。




柵の中に入る前に、柵に沿って少し進むと写真のような場所に出ます。


この九層楼が莫高窟のシンボルにもなっている96窟です。
ここで記念撮影をするのが定番らしく、撮影してから、いよいよカメラを預けて中に入ります。

敦煌のガイドさんと合流し、見学開始。
辺地ガイドさんの方針で、午前中は一般窟を見学し、午後に特別窟を見学するということになりました。

最初に見学したのも、この96窟。
この中には、莫高窟のなかで最大の大きさの弥勒大仏(34.5m)があります。

96窟は唐の則天武后の時代に作られたもの。

女性でありながら強引に皇帝になった彼女は「自分は弥勒仏の化身だから皇帝になってもいいのだ」との理論武装を行ったとのことで、この時代、弥勒仏が多く作られたのだそうです。

この弥勒仏、実に大きくて見上げるばかり。

ただ、指の動きとかがきれいだとは思うけど、後の時代の修理がかなりされていて、美術品としてはどうかな、という感じです。


しかし、次に行った130窟は良かった。私が敦煌で買った写真集の表紙がこの130窟でした。

ここには高さ29mの唐の時代の大仏(96窟より南にあるので南大仏と言われています)があるのですが、ほとんど後の時代の補修がなされていないので、唐の時代のままの姿を見ることができます。

大仏の左右には15mもの大きな菩薩像や、2mという敦煌最大の飛天が描かれていて、ともかく素晴らしい。

素敵な、雰囲気のある空間です。

ここで写真集のことについても説明しておくと、これは莫高窟のそばにある研究室付属のお土産屋さん?のような場所で買いました。

莫高窟では写真撮影禁止なので是非写真集が欲しいところですが、ここの写真集が一番充実していた気がします。種類も多かったし。

この写真集は150元でしたが、日本語版で写真も説明も充実していました。
もちろん絵葉書のようなお土産も色々売られていました。
特に模写はや研究員の描いたものだけあって、単なるお土産用の模写とは質が違います。

この後、私が見学した一般窟は次のとおり。

涅槃仏があり涅槃経変・阿弥陀経変の壁画が見事な148窟。

反弾琵琶の壁画がある237窟。
反弾琵琶というのは一種のアクロバットで琵琶を背中に回して弾くというもの。
これは敦煌のシンボルになっています。

北魏時代の壁画が残る257窟。

隋の時代の飛天が美しい427窟。

釈迦の前世の物語(飢えた親子の虎のために自分の身を捧げるというお話)の壁画がある428窟。
428窟は莫高窟最大の中心柱窟(中心に柱を置き、その四方に仏像を置くもの)でもあります。

1900年に敦煌文書が発見された16窟・17窟。

そして、宋代の29窟と未完成の壁画が残る26窟。

歴史的価値という意味では16窟と17窟は興味深いところです。広い16窟の壁に造られた小さな17窟から5万点もの経典や文書(敦煌文書)が発見され、井上靖の小説では西夏の侵略から守るために大量の文書等を運び込み、壁を埋めて隠した、と描かれました。とても狭くて覗き込むことしかできない17窟にどうやって大量の文書を隠したのか・・・。歴史のロマンです。

とはいえ、正直なところ、一般窟は130窟と148窟が素晴らしかったものの、他は今一つといった感想。隈取の輪郭線が変色して独特の雰囲気を出している北魏時代の壁画などは興味深いのですが、ほとんどの石窟内の仏像が清代の稚拙な補修で台無しにされているのが痛い。敦煌に行ったら、ケチらないで特別窟を見学しないと、かえってもったいない気がします。

一般窟と特別窟が、具体的にどう違うかと言うと・・

こちらが一般窟の入場券(西魏時代・249窟)


で、こっちが特別窟の入場券(220窟)



入場券の違いでも察して頂けると思いますが、特別窟の素晴らしさは段違いです。

写真撮影が一切禁止されているので、敦煌で買った絵葉書から私が見た特別窟をご紹介
(甘粛文化出版社出版発行、敦煌・壁画)。

下の写真はどちらも「美人窟」として有名なもの
左下は壁画が美しい57窟(唐)。右下は塑像が美しい45窟(唐)

   

57窟はとても小さな窟ですが、莫高窟で一番美しいと評判の菩薩像の壁画で有名。入って左側の壁面に描かれています。初唐の壁画で、他の仏達はみな変色してしまっているのだけれど、この菩薩の周囲だけがなぜか奇跡的に変色していません。菩薩は化粧を施した美しい貴婦人の姿で描かれていて、装飾品の金色も素晴らしく繊細です(150元)。

45窟は釈迦を真ん中に左右に弟子・菩薩・天王の塑像が並びます。盛唐を代表する窟とされ、左右の菩薩がそれぞれ、とても美しい。上の写真は右側の塑像。この菩薩が好きか、左側の菩薩が好きかは、結構好みが分かれるようです。菩薩が美しいだけでなく、釈迦の左側の弟子阿難像も盛唐塑像の最高傑作として名高いそうです(200元)。


275窟は莫高窟の石窟の中でも最も古いものの一つ(北涼時代)で、西域の香りが高いステキな窟です。

右の写真(絵葉書)は一番奥にある本尊で「交脚弥勒菩薩像」と呼ばれているもの。
名前の由来はご覧のとおりに足を交差する形で座っているところからきています。
この座り方、なんとギリシャやペルシャの王族の座り方なんだそうです。
東西をつなぐシルクロードというものを実感できますね。

高さ3,34mということで、結構大きい像です。

菩薩の座る椅子の背もたれのところにはペルシャ風だという3角形の飾りがつき、左右の足元には獅子がいます(愛嬌があって、とても獅子には見えませんが)。

この275窟は、左右の壁に宮殿風の龕があって、そこにやはり足を交差させた仏達が並びます。

一番手前の左右の龕には木の下で瞑想する弥勒が彫られていました(150元)。


こちらは285窟。西魏時代のものです。


絵葉書は仏教説話を描いた部分ですが、この窟はむしろ神仙思想を描いた壁画・天井画で有名です。
この絵葉書でも上の方にも飛天が描かれていますが、天井には風神・雷神や伏義などが描かれている他、飛天の中に飛仙が混じっていたり、なんとヌードの飛天まで描かれていて、中国古来の神仙思想を思わせるもので大変面白いものです(200元)。

絵葉書がないのですが晩唐の時代の156窟も見学しました。156窟は張議潮出向図とその夫人の出向図で有名です。下の方にはスポンサーの男女の像が描かれていて当時の風俗が分かりやすい。ロシア革命時の難民が煤で壁画を汚してしまっているのが残念ですが(100元)。


☆莫高窟観光情報☆
莫高窟観光で、ちょっと気が付いたことをメモ

必携品

その1 懐中電灯
良い懐中電灯か否かで感動が変わってきます。
57窟の菩薩は白い光で見たとき、神々しい美しさでした。

その2 小さなバッグ
大きなバッグは持ち込めない
貴重品を入れるウエストポーチ大のバッグが必要。

その3 ちりがみ(笑)
トイレは外にあるけど、中国のトイレですから・・・。


見学情報

その1 余裕があったら、特別窟見ないと絶対に損。
できれば事前に見たい窟を調べて問い合わせておいたほうがいいと思います。
(結構高いんで料金もチェックすべき)
私は頼み込んで45窟を追加してもらいました。
敦煌のお土産は、ほとんどが45窟と57窟関連のもの。できれば、両方見たいところです。

その2 仏像、壁画は座ってみるのがおすすめ。本来、座って拝むものだから
視点が低くなると随分と印象が変わるものです
(これは日本の仏像を見るのと同じですが)

その3 飛天に注目
難しいことが分からなくても、飛天に注目するだけでも楽しめます
古い飛天は重そうです。
それが次第に重力から開放されて、空を自由に飛ぶようになっていくのが見ていて楽しい。

その4 かなり歩きます
階段の上り下りが想像以上に多いので、足が弱い人は気をつけて



楡林窟

敦煌の東約170キロ。甘粛省安西県に楡林窟はあります。敦煌から車で3時間強でしょうか。
楡林窟は楡林河という河の両岸の断崖に掘られた石窟寺院群で、全部で42の石窟があります(最近1箇所新たに発見されました)。楡林川は水量が豊かで、川のせせらぎが気持ちがいい。



楡林窟も写真撮影は禁止されていて、莫高窟と同じように案内のガイドさんに従って見学して行きます。まずは、五代の時代の12窟、13窟。当時のこの地の有力者である曹一族が両親の供養等の目的で作ったもの。16窟も曹一族のものなのだけれど、ここは@入口に西夏の年号である国慶5年という文字と楡林窟という文字があること、A壁画に描かれた両親の図のうち、母親がウイグル民族の姿をしていること、で有名ということでした。
15窟の前室も、右は漢民族の武将の姿の増長天、左はチベットの武将の姿の多聞天となっていて、西域の色彩が非常に濃いものです。
他に、六道輪廻の絵がある19窟、八仙人が雲に乗るといった道教の色彩の強い天井画のある23窟など。しかし、ここも圧巻は特別料金を払う特別窟です。

写真は特別窟の25窟。入場券に使われているものです。

特別窟の25窟は奥にはチベットの服装をした菩薩の仏像が並び、壁には左右に弥勒浄土変、西方浄土変という唐代の壁画が描かれています。
弥勒浄土では年をとらず、一度種を植えれば7回収穫ができ、人は自分の寿命が尽きるときはそれを知ることができ、しかも死ぬときに苦しまない・・・そのようなテーマで描かれている人々の生活の描写が素晴らしい。写真は弥勒浄土変の一部。農作業のところ。他にも、結婚式とか色んな生活の様子が巨大な壁面にいっぱい描かれています。
反対側の壁面の西方浄土変も鼓を持った踊り子やら、四弦の琵琶やら、双頭の鳥など興味深いテーマがたくさん描かれていました。

特別窟の3窟は入口からすぐの左右の壁にある壁画が見事です。

西夏時代の壁画は、白象に乗った普賢菩薩と、獅子に乗る文殊菩薩が描かれていて、それぞれ背景には水墨の山水画が描かれています。
どちらも巨大な壁画で壁面いっぱいに描かれていて、しかも、繊細な描写。素晴らしいの一言。

実は、一生懸命探したのですが楡林窟の絵葉書や写真集は敦煌では全く売っていませんでした。
普賢菩薩も文殊菩薩も素晴らしかったので紹介したいのに残念です。

右の写真は偶然見付けたポスター。
普賢菩薩が描かれている壁画のはじっこの方に描かれている菩薩を拝む三蔵一行です。

三蔵一行が経典を手に入れて帰国する様子を描いているのですが、注目すべきは悟空。
なんでも、ここに描かれている悟空は猿として描かれた最初のものなのだそうです。
三蔵の後ろで合掌して上を向いているのが悟空。確かに、顔が猿っぽい。

なんでも、わたしたちが知っている「西遊記」が成立するのは、これから300年も後のことだとか。悟空を猿とする先駆けです。

楡林窟の特徴は莫高窟と比べて保存状態がいい石窟が多く、ほとんどの石窟に前室が残っていることです。また、宋の時代の補修が多いのですが、宋の時代の壁画では普賢菩薩が乗る象、文殊菩薩が乗る獅子もどちらも正面を向いていると教えてもらいました。

他にも、11、7mの涅槃仏がある5窟、則天武后時代の巨大な弥勒仏がある6窟(弥勒仏の前のでっかい布袋も笑えます。たぶん、布袋は弥勒の変化)などがあります。



安西東千仏洞

楡林窟より更に東に安西東千仏洞はあります。敦煌から車で4時間かかりました。
安西東千仏洞は西夏・元の時代に作られた石窟群です。
ご覧のように断崖が左右にそびえているのですが、この断崖の中に石窟はあります。、
   

まずは5窟。5窟には貴重な西夏文字が残っています。写真に撮れないのが残念ですが漢字の字画を更に多くしたような文字。他にも、ここには観音の化身で全身が緑の緑度母の壁画や、麒麟に乗る毘沙門天、頭が2つの神など興味深い壁画がたくさん残っています。


しかし、次に見学した2窟は更に凄かった。

写真撮影禁止なので、例の鎖陽城で撮った安西東千仏洞の宣伝ポスターでご紹介。

この不思議な女性像・・・に見えるのは、救苦観音という観音様。

肌の色は変色してしまっていますが、鮮やかな緑が美しい。

ほぼ等身大の大きな壁画で、木の下に立ち、右の手には水差しを持ち、そこから流れる水を背負われた子供がかぶっています。

服装はミニスカートにしか見えませんが、これは西夏時代の風俗ということです。
よく見ると、足には細かな模様のついたストッキングのようなものをはいています。

なんともいえず、エキゾチック。
ウエスト細いし・・。

東千仏洞は日本では全く知られていないと言っていいと思います。
こんな素晴らしいものだとは思いもしませんでした。中国、恐るべし。

更に、この石窟の奥の左右には色も鮮やかな水月観音と三蔵一行を描いた壁画があります。観音様がとてもきれいでした。
入口から見て左側の壁画では、猿ではなく奇妙な顔の人間として描かれている悟空が目を引きます。途中で見つけたポスターに壁画の写真があったので撮ってみました。



分かりにくいかもしれませんが、馬の右隣で合掌している白い服の人物?が悟空です。三蔵とは明らかに顔が違います。
現地ガイドさんの話では、三蔵法師は異郷の異民族のガイドに助けられながらインドを目指したのであって、そういった異民族が悟空達のモデルだったんじゃないのか、とのこと。説得力あります。

他にもこの石窟の入口には「明治四四年九月二七日 大日本京都 吉川小一郎」との落書きがあります。これはあの大谷探検隊の一行の一人。帰国して調べたところ、大谷探検隊では1910年(明治43年)から1914年にかけて吉川小一郎が敦煌周辺を探検していました。

一度、崖を降りて、反対側の崖を登り、元の時代の天井がマンダラになっている6窟と、西夏時代の7窟を見学。7窟は西方浄土変の壁画や本尊の後ろの涅槃図が見事でした。

ということで見学したのは全部で4つの石窟でしたが(2・5・7窟は特別窟。2窟は150元、5・7窟は100元)、苦労して来た甲斐があったというものです。こんなに見事なところが知られていないなんて不思議。もっと知られるべきだと思う一方、もったいないから知らせたくないような気もします。しかし、写真撮影禁止ならば、せめて絵葉書か写真集が欲しいところだけれど、そういったものが全くないのがつらいですね。ポスターを偶然見付けなかったら、全く記憶を残せないところでした。



西千仏洞

敦煌市街から陽関に行く途中に西千仏洞はあります。
莫高窟の西にあることから西千仏洞というそうです。


西千仏洞はかっては陽関を越えて往来した人たちの信仰の場だったそうで、全部で19の窟があるそうです。私たちは3・4・5・6・7窟を見学しましたが、正直、かなり破損が進んでいます。

3・4窟などは後の時代の補修で大きく損なわれています。補修と言うより破壊だと思います。ただ前室左側の菩薩は美人でした。6窟は右側の飛天が美しいけれど、左側は未完成というか、あまりに右と技術が違いすぎて、ちょっと不思議。
7窟は西魏の時代に作られ、その後何回も補修されたとのことで、弟子達が外国の服を着ている西夏時代の涅槃図や、唐の時代の説法図が見事です。上の写真は入場券として使われている7窟の説法図です。

正直なところ、莫高窟とは比較にならないし、楡林窟・東千仏洞と比較しても、内容的には数段落ちます。ただ、敦煌の街から近いし、観光客も少なくて、ひなびた雰囲気なので、陽関観光の帰りとかに立ち寄るにはいいかもしれません。


莫高窟・西千仏洞以外はアクセスに苦労しますが、苦労する価値はあります。
安西東千仏洞は本当に驚きでした。
写真撮影禁止なのに写真集や絵葉書がないのが残念です。

見学料金などは、あくまで2006年時点のものです。


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参考文献

週刊シルクロードbP・敦煌1(朝日出版社)
週刊シルクロードbQ・敦煌2(朝日出版社)
敦煌石窟(中国旅游出版社)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。